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講話

2学期終業式

 今日で2学期が終わります。
 コロナ禍により、体育祭や文化祭、その他学校行事は、例年通りにはできませんでしたが、日々の学校生活は、中間体操ができないことやトイレ掃除を業者の方にお願いしていることを除いて、ほぼ平常通り行うことができました。予定通り2学期を終えることができ、ほっとしています。
 ただ、全国的に感染拡大が収まりません。広島県は、この1週間の人口当たりの新たな感染者数が、東京、大阪に次いで多くなっており、広島市内の医療現場は、報道されている以上に逼迫していて、深刻な事態だそうです。当たり前のことですが、マスク着用や手洗い励行など感染拡大防止に一層努めなければなりません。

 そんな状況の中、今年の流行語大賞は「三密」、また今年の漢字は「密」が選ばれました。そうだろうなと納得するところですが、この10か月で「密」が随分悪者になってしまいました。もちろん今は「三密」を避けなければなりません。だけど「密」という言葉には「関係が深いこと。親しいこと」とか、「細部にわたって行き届いていること」といった、今も大切にしなければならない意味もあります。
 コロナ禍であらためて感じるのは、私たちは皆、他の人との関係の中で生きているということです。ウイルスは人から人へ感染が広がり、それだけでも人との繋がりを意識させられますが、一方で、感染拡大によって人との繋がりがなくなり、苦しい生活を強いられている方もたくさんいらっしゃいます。また自分自身の責任ある行動が感染の拡大を防ぎ、誰かの命を助けたり重傷者を助けたりすることにも繋がります。
 このように、感染拡大防止に努め、Withコロナを生きていくためには、人と人との繋がりの意識がどうしても必要です。三密は避けても、人と繋がり、互いに支え合っていくという意味では、密の意識を大切にしなければならないと思います。

 さて、もうすぐクリスマスです。聖書では、マタイとルカの福音書にイエスの誕生の場面が書かれています。それらを合わせると、飼い葉桶に眠るイエスと、それを優しく見守るマリアとヨセフ、真っ先にお祝いに駆けつけた羊飼いたち、東の国から宝の箱を持ってやって来た博士たちという、中央玄関にも飾られているクリスマスの場面になります。
 あのようなイエスの誕生の場面をかたどった馬小屋を最初に作ったのは、「平和を願う祈り」でも知られているアシジの聖フランシスコだそうです。800年ほど前のことですが、当時、カトリック教会は、富も権力も絶頂を極めていました。そんな時代に「イエス・キリストは、こんな所で、こんな風に、貧しくささやかに生まれた」ということを人々に分かりやすく教えるために、天然の洞窟に本物の動物を連れてきて、村人がそれぞれの登場人物に扮して「本当のクリスマス」のシーンを再現したと言われています。
 身ごもっていたマリアがヨセフと共に長い道のりをベツレヘムまで来たけども、どこにも泊まる宿がなかったために仕方なく馬小屋で幼子を産み、飼い葉桶に寝かすというのは、現実的なこととして想像すると大変な状況です。だけど、フランシスコが再現した馬小屋の場面は、貧しさはあってもそういった悲惨さは全く感じられず、逆に深い喜びを感じます。
 この深い喜びは、信仰を持つ人にとっては、救い主であるイエスがお生まれになったというところにありますが、同時に、一人の人の誕生が無条件に祝福されるべきものだというところにもあると、私は思います。馬小屋の中であるか、暖かい家の中であるか、そういった物質的な貧しさや豊かさとは全く関係なく、一人の命の誕生は尊いものです。そして尊い命だから、誰もが大切にされなければならない存在だし、自分自身も大切な存在であるということを、クリスマスはあらためて思い出させてくれる日だと思います。
 今年はコロナ禍のため、例年と比べると寂しいクリスマスになるかもしれませんが、誰もが大切にされるべき存在なのだというクリスマスのメッセージを、みんなもそれぞれに受け取ってもらえればと思います。

 最後になりますが、年末年始も感染予防に努め、自粛生活になりそうです。例年よりも自分の時間が多い冬休みになるかと思いますが、その時間に本をよく読んでみてはどうでしょうか。最近、みんなの読書量が全体的に減っているようだと聞きました。コロナの影響か、iPadの影響か分かりませんが、読書をお勧めしたいと思います。
 では、新年1月8日の始業式に全員が元気に顔を合わせることができるよう、健康に気をつけていい冬休みを過ごしてください。