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講話

2学期終業式

 今日で2学期が終わります。
 9月には緊急事態宣言が発令され、部活動ができない時期がありましたが、その後は今日まで、ほぼ平常通りの学校生活を送ることができました。体育祭や文化祭などの学校行事も、色々と制約がある中で、高2の生徒を中心に何ができるかをよく考えてくれて、立派なものになりました。全体的にはいい2学期だったと思います。

 さて、今日は「ある無名兵士の詩」と呼ばれている詩を紹介します。アメリカの南北戦争の時代に、怪我をした南軍の兵士が病室の壁に書いたといわれているもので、現在は、ニューヨーク州立大学病院の物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁に掲げられているそうです。

   大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶように弱いものとされた。
   より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよいことができるようにと病気をいただいた。
   幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧しさを授かった。
   世の中の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、神を求め続けるようにと弱さを授かった。
   人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと命を授かった。
   求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
   神の意に添わぬものであるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。
   私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。                   (渡辺和子 訳)

 この詩が多くの人に知られるようになったのは、60年余り前にアメリカの政治家アドレー・スティーブンソンがクリスマスカードに書いて友人に送ったことがきっかけだったそうです。スティーブンソンは、大統領選に2度出馬し、2度ともアイゼンハワーに大差で敗れました。失意の中、ある教会でこの詩を見つけ、深い感銘を受けたとのことです。彼は、この詩によって思慮深い人物に立ち直り、その後はケネディー大統領の下で国連大使として活躍し、「宇宙船地球号」という言葉で、平和のための連帯を世界に呼びかけました。

 私たちはみな、幸せを願って生きています。幸せになるために努力をするし、その努力が報われるように祈ることもあります。しかし、祈り求めた通りには叶えられないことがよくあります。失敗に終わり挫折を味わうことも多いかもしれません。そんな場合でも、がっかりしながらも気を取り直して前に進んでいく中で、祈り求めたものとは別のもっと素晴らしい恵みをいただいていることに気付くことがあるものです。
 この無名兵士も、健康や富や成功など、幸せになるために祈り求めたものは与えられず、病弱や貧しさや弱さを授かりました。「なぜ、どうして」という気持ちになったでしょう。しかしよく振り返ると、謙遜を学び、よりよいことができるようになり、賢明になり、神を求め続けるようになり、あらゆることを喜べるようになっていました。大切なものが与えられていたことに、気付いたのです。幸せになりたいという願いは聞き届けられ、神に感謝しました。

 ところで、マタイ福音書に描かれているクリスマスの場面では、東方の国から、占星術の学者たちが幼子の誕生を祝いにはるばるやって来ます。彼らは、自分の国では、星の動きを調べて世界の動きを予知する役割を担っていて、おそらく高い地位にあったエリートたちです。名誉や富も得て、世俗的には充分に満たされていたと思います。それでも、生きていくための確かな光の到来をずっと期待していました。救い主の誕生を知り、幼子のもとを訪ね、宝物を捧げました。
 世俗的に満たされることは、もちろん悪いことではありません。健康や富や成功を貰ったら、喜び、感謝すればいい。ただ、本当の幸せはもっと別のところにあって、世俗的な満足ばかりをひたすら追い求めていてもそれは得られないと、この占星術の学者たちは感じていたのでしょう。そして「無名兵士」も同じようなことに気付き、この詩を書いたのだと私は思います。

 イエス・キリストは、「本当の幸せ」を福音として伝えるために、生まれてきました。クリスマスを迎えるにあたり、私たちも、かつてある政治家がクリスマスカードに記したこの「無名兵士の詩」をよく味わってみてはどうかと思います。
 24日、5時15分から前庭でキャンドルサービスがあり、その後、アルペ講堂でクリスマスのミサがあります。ぜひ皆さんで来てください。
 そして、クリスマスが終わったらすぐにお正月です。
 新しい年がみんなにとっていい年になるよう、祈っています。