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講話

6月16日 朝礼

おはようございます。
 先週の金曜日に、全校朝礼があって、生徒指導部長の佐久間先生が大切なお話をされました。不注意な生徒、わがままな生徒の登下校中の言動が、周りの人に迷惑になっていることがよくあるということですが、その話をみんなはきちんと心に留めていますか。私からも一言言っておきたいのですが、特に学校のすぐそばの道路は、登下校で大勢の生徒が通ると、まるで学校の私道のようになってしまいます。ですが、もちろん校門から出たらそこは地域の方々の生活の道路であって、私たちもその道路を一緒に使わせてもらっています。だから、迷惑をかけないだけでなく、たとえばすれ違うときには道を譲るとか挨拶をするとか、そういったご近所の方を思う気持ちがないといけない。このことも、よく心に留めておいてください。

 さて、先週に続き今週もマジスについてもう少し考えてみたいと思います。
 先週、みんなは現状に満足せず成長したい、もっとよくなりたい、刷新したいという心意気はあるかという話をしましたが、成長したいという気持ちはあっても、「周りの人に自分をよく見せたい」という欲求が強いと、それは成長の妨げになるという話を聞いたことがあります。先週も言ったように、成長の過程には、必ず困難があり、失敗や挫折がありますが、「自分をよく見せたい」という欲求が強すぎると、よく見せるために、ついつい失敗する可能性のある挑戦を避けたり、困難にはなるべく近づかないようにしたりして、結果的に成長の機会を失うことになるからだそうです。私たちは、ほとんど誰でも「自分をよく見せたい」という欲求がいくらかはあるでしょうが、その気持ちを抑えることができたら、失敗を恐れず挑戦するでしょうし、困難にあっても周りの目を気にせず耐えるでしょう。人に批判されることから学び、人の成功からも学ぶこともできると思います。

 この「自分をよく見せたい」というのは、要するに「自分はどのように評価されているのか、いつも周りの人の目が気なる」ということでしょう。自分の振る舞いを周りの人がどのように見ているのか、気にしなければならないことはあるし、人の目を通して新たな自分の一面を見つけるということもあります。ですが、周りがどのように自分を見ているのか、その評価ばかりが気になって、よく見せようという意識が強くなりすぎると、その人がもともと持っている魅力や能力をのびのびと発揮できなくなり、かえってイメージが悪くなるかもしれません。ことさらよく見せようなどと考えなくても、私たちは誰でも、結構いい面も持っているし、また、周りも案外それを正しく評価してくれているものだと私は思います。

 みんなには、自分をよく見せようなどとあまり考えず、のびのびとした雰囲気の中で、勉強や色々な活動に励んでもらいたい。そして、先週も言ったように、知性や感受性、精神力を磨き、よりよい人格の形成を目指してもらいたい。それを自分一人の力で実現するのは、なかなか難しいかもしれませんが、仲間と互いに切磋琢磨することで可能になる、学校とはそういう所です。互いに切磋琢磨するとは、志を同じくする者が、互いに励まし合いながら、学問や徳を高めていくことです。

 励まし合うというのは、慰め合うのとは少し違う。イエズス会の教育でいえば、励まし合うとは、マジスの精神を失いかけているときに、それを取り戻そうと互いに力付け合うことです。場合によっては仲間を叱る、そういう励ましがほしい。こういうことは、励ます方も励ましを受け入れる方も勇気のいることかもしれないけど、それができるのが本当の仲間です。そして、クラスや学年全体にそんな雰囲気ができれば、その中にいる一人一人も、よりよく成長するチャンスが大きくなります。私は何回もクラス担任をして、このことを何度も経験しました。

 この学校が、生徒が互いに切磋琢磨しながらより高いといころを目指す、そういうマジスの精神のみなぎる学校であればと思っています。